コウヤマノート

「パフォーマンス」とは

2012年8月10日

パフォーマンスとは直訳すれば実行や成果等を意味し、演劇や音楽、舞踊等にも使われる。ただ最近では、政治家等のスタンドプレーを揶揄する場合に使われることが多くなった。  

私も批判的な意味で使う時があり、逆に私自身が批判を受ける場合もある。最初はそんな指摘を受けると頭にきて、何のことだったかは忘れてしまったが、議会でも大きな声で否定したことがある。  

そのパフォーマンスに関して、自らの経験に基づいて話をすれば、例えば就任当初に始めた職員との直接対話としての「ブレックファストミーティング」。
他都市での取り組みを参考に始めたが、朝食を食べながらでは話難いし、始業時間も気になるため、途中からランチミーティングに切り替え、最終的には今の業務終了後、おでかけトーク前の時間を使ったオフサイトミーティングで落ち着き、それは今も続いている。
早朝から弁当持参で参加してくれた職員には申し訳ないが、人真似だけではなかなか続かない。  
それから週に一回の「バス通勤」。
就任直後に市民団体主催のノーマイカーデーパレードに参加し、市民に公共交通機関の利用を呼び掛けたが、自らは公用車での送迎の毎日であった。当初は周囲に安全面で懸念する声もあったが、週一回だけは何とか認めてもらった。
それも今も続いており、最近では「公共交通を利用しなければ!」といった使命感よりも、バス停や隣り合わせで座った人等との会話など、楽しみでもあり、気分転換の一環としても結構気に入っている。  

そして、そのバス通勤の日に併せて、始業前30分ほど市役所の入り口に立ち、出勤してくる職員たちを出迎える「挨拶運動」。
これも3年ぐらいは続いているだろうか。今まで紹介したことは、どれも最初はパフォーマンスと言われ、その中でも特に「挨拶運動」はその批判が強かったような気がする。
動機のひとつは、職員の不祥事が相次ぎ、「何か行動しなければ」との思いからであったことは間違いないが、挨拶をしたぐらいで不祥事が無くなるとももちろん思わなかった。
中学生たちの挨拶運動に参加したことがあり、登校してくる生徒たちを、生徒会の皆さんと挨拶で迎えた。学校ではよく見かける風景である。子どもたちには奨励し、大人が実行しないことは挨拶だけでなく結構多い。
不祥事対策というだけでなく、そんなことも考えながら、朝市役所の入り口に立ち始めた。最初は驚き、戸惑う職員も多かったが、3年も経過するとさすがにそれはなくなった。
当初はバス通勤とともに取材を受けることもあったが、もちろん今はそんなことはない。
先程の「バス通勤」同様、結構早い段階から楽しみにもなっている。
朝出勤してくる職員たちと挨拶を交わすだけでなく、時には仕事やプライベートに関することを話すこともある。職員たちの表情を見ながら挨拶をすると、元気な声で返してくれると嬉しくなり、逆だと体調等が悪いのか心配にもなる。色んな目的が重なり止められなくなってしまった。
もちろん最初から、「始めるからには続ける!」と決意してのスタートであったが、今では肩の力が抜けてきた。  

長々と自らの体験談を紹介してきたが、ウケを狙った「パフォーマンス」かどうかは、時間が経てば自ずと明らかになる。
スタンドプレーにより自分の器以上のことをアピールしようとしても、最終的には化けの皮が剥がれてしまう。ただ最初は背伸びが必要であったことが、途中から無理する必要がなくなる場合もある。
また発信力を高めるためには多少誇張した表現が必要な場合もある。
「パフォーマンス」と揶揄される立場にもある私はそんなことを考えているが、逆の立場としては「見抜く力を持ちましょう」ということ。
その瞬間の言動だけで判断しない方が懸命である 。
自らの言動に気を付けながらも、やはり最近の政治家は「パフォーマンスが過ぎる」と強く感じてしまう。
幸山政史の一問一答幸山政史の会

スタッフダイアリー
幸山政史インタビュー
幸山政史facebookページ

 

QRコード