コウヤマノート

「民意」とは

2012年8月11日

「民意を反映する」政治家がよく使うフレーズ。
先日も新党を立ち上げた際のコメントに、離脱した政党が「民意を反映していない」と批判をし、離党から新党を立ち上げるまでの理由のひとつに挙げられていた。
私も時には使うことがあるが、では「民意」とは何なのか、何処にあるのか、またどうやって把握することが出来るのか…。
言葉として使われるほど簡単なことではない。  

民意を把握する手段はいくつかあるが、まずは直接住民の意見を聞く「直接対話」。
最初の市長選で掲げた「市民の声を市政に反映する」ために、早速「まちづくりトーク」を始めた。定期的に募集し、抽選で選ばれた3組と20分ずつ、先方の関心のあるテーマについて意見を交わす。
その延長線上にあり、主に継続的に活動している団体を対象にした「ゆめトーク」、中学生や高校生等、若い人たちを対象とした「子どもたちとのゆめトーク」も始めた。
また地域住民を対象とした「おでかけトーク」や「校区自治協トーク」。ほぼ毎週どこかに出向き、前半は市政に関するプレゼンを行い、後半はフリーディスカッションに臨む。
これらの直接対話事業はメニューが増えこそすれ、減ることはない。
いずれもシナリオはないために、どんな意見が飛び出すか分からず緊張もするが、どれも生の声が聞ける貴重な機会となっている。
直接対話から民意を把握することができる。  

各種審議会や第三者委員会も民意を反映するための手段のひとつ。
委員の選任にあたっては、各団体の推薦を経て行政側が指名する場合が多かったために、最近では基本的に公募委員を複数名入れることにしている。
団体等に所属していなくても、専門的な知識や具体的な提言をお持ちの方を発掘するよい機会にもなっている。
一度、自治基本条例の条例案づくりのために、全て公募の100名程度の委員による委員会を設置したことがあるが、意見を集約するのにかなり苦労した経験がある。
なかなか纏まらずに、途中で離れていく委員も少なくなかった。
また事務局側の行政が批判を受けることも少なくなかった。
このやり方にも数多くの課題は残ったが、その困難さも含めてプロセスが明らかになったことには意味があったと思う。
第三者の審議会や委員会での審議を通して民意を反映しようとするもの。  

また「アンケート調査」や「世論調査」等も民意を知る手法のひとつ。
これまで、総合計画等の計画を策定する際や、その後の進捗状況を確認する際に、無作為抽出された1万人程度を対象とした「アンケート調査」を頻繁に行ってきた。
全国的にも頻繁に「世論調査」が実施され、内閣や政党支持率の結果が、そのまま政局に繋がることもある。
この結果が最も的確に民意を現しているのかもしれない。
ただ万能でない点は、市のアンケート調査でも回答率が40%前後であり、必ずしも全体が把握できている訳ではない。
例えばインターネットを使った調査では、年齢等の対象者が片寄る場合がある。
そして何よりマスコミの論調に左右されることが多いように感じられる。
「アンケート調査」や「世論調査」だけで民意とするには、少々乱暴過ぎるかもしれない。  

そこで熊本市では、昨年から「2000人市民委員会」という新たな仕組みをスタートさせた。
委員の選定にあたっては、無作為抽出ではあるものの、年代や地域、性別等のバランスに極力配慮した。
年に数回のアンケート調査だけでなく、事前の研修会や詳細な資料の配布等も併用し、ある程度内容を理解してもらったうえで調査書に記入していただくことにしている。
また任期は2年と複数年であることから、傾向の変化も把握することが可能である。
こちらのアンケート回収率は80%前後。通常の調査よりもかなり高くはなっているものの、やはり100%ではない。
また委員就任を承諾していただく方は、元来市政に関心の高い方が多いのも事実である。
いくつかの課題もあるが、単なるアンケート調査を補う形で、今後大いに活用していきたいと考えている。  

民意を把握し、反映するための究極の手段として「住民投票」がある。
私自身は間接民主主義を補完する手段として必要と考えている。そして実際、合併の際には市域全体ではないものの、合併町におけるそれを何度も経験した。
市町村合併は、場合によっては住民の生活に大きな変化を及ぼしかねず、重大な関心事でもあるだけに、合併の手続きのひとつとして位置付けられてもいる。
実際に経験して色んなことを考えさせられた。
まずは、賛成・反対の対立が激しく、一部に誹謗・抽象合戦のようになってしまい、冷静な判断が出来たかどうかということ。
合併の際の約束事を整理するための法定協議会の途中で、急遽住民投票が実施され、反対多数で合併が暗礁に乗り上げてしまった、ということもあった。
またやはり投票率も問題で、場合によっては過半数に達せず、せっかく住民投票が不意になってしまうこともある。
必要な手段ではあるが、住民投票も万能ではない。  

その他、手紙やメールによるやりとり、パブリックコメントやオープンハウス等、周知とともに意見を汲み取る手段は他にも色々とある。  

長々と書いてきたが、政治家が簡単に使うほど、民意を把握することはもちろん、それを反映することも容易なことではない。
「選挙結果が民意だ!」と断言する政治家もいるが、今の政治不審、低投票率を考えれば、必ずしもそうとは言えない現実がある。
ただ、この事に関しては政治家だけでなく選ぶ側にも問題がある。  

最近、民意について考えたきっかけは、脱原子力依存かどうか、今後のエネルギー政策を決めるためのプロセスとして、鳴り物入りで政府が取り入れた「討論型世論調査」。
途中電力会社の社員を排除し、発言者の構成を見直したりと、当初の理想通りに進んでいないのが現状である。
その一方では民意の爆発とも捉えることが出来る、官邸周辺を取り巻き「原子力発電所再稼働反対」を唱える市民の動きもある。
インターネット、SNSの普及とともに、これまでにない広がりを見せている。  

そんな状況で、政治や行政はどのように民意を把握し、施策に反映することができるのだろうか。
これまで何度も述べてきたように、もちろん容易なことではなく、マニュアルもあるわけではないが、試行錯誤しながらも、追求する努力を続けていかなければならない。
また民意を表明する側も、マスコミやインターネット等の氾濫する情報に踊らされることなく、責任ある考えを持たなければならない。
お互いに大変なことではあるが、それが民主主義なのかもしれない。
民主主義の学校であるはずの自治体において、最近では「独裁も時には必要」と言い切る首長もいる。同じ立場にいるものとして、気持ちは分からないではないが、暴走による怖さの方が先に立つ。
お互いに民主主義の苦労を分かち合いながら、この国や地域の将来に関わっていくしかない、と私は思う。